2011/04/05

田県神社の豊年祭。 


行列の先頭は募金箱でした。

2011/03/23

無題

今月は ブログを自粛しようと思ってましたが、
身近な人が 東日本の災害に動いてる姿を見て 
 今回だけ お許しください。

17日に有る人と 食事をする為 車で迎えに行き 家の前で待っている間、
テレビをつけると 震災の映像が流れ 
私は 見ているにも辛くなり 「何かをしなければ」と月並みな事を まじめに考えていました。

すると その人が現れ テレビを見るとすぐ
「震災か? 受け入れ先とも連絡とって、もうトラックで運んだぞ! 毛布1200枚と *水を 知人の森林組合に話したら いくらでも汲んでやると言うから 11トントラック一杯貰って、 食物は 水の要らない *八百津せんべい、せんべい組合に話したら お代は?と言うから でっかい箱で200箱買った そしたら100箱くれた。」
 *郡上の美味しい水で 全国的な人気。
 *岐阜県八百津町で古くから親しまれていて 小麦粉と卵と砂糖で栄養満点。
震災から 1週間も経ってないのに もう運んだ???

その人とは 私が幼いころからの先輩で、 去年7月の岐阜県南部集中豪雨で 大型トラック23台流された運送会社の社長 その人です。(テレビでも頻繁に放送された トラックが重なり合った映像を 覚えている方も多いはず)

「トラック流された時 みんなからお見舞いを貰った、 今返さんでいつ返す? 市でも 青年会議所でも、送る物は 全部運んだる、金は要らん、まだまだやるぞ。」
もちろん PRする気配ゼロ・・・・なんたる男気、

食事中 市から知り合いの担当者を通じて 依頼がたびたび有るが 快諾。
最後の言葉は 「あの時 行政からは何もして貰ってないけど 俺は運ばせてもらうわ はっはっは。」 
良い人に なろうとしない処が またいい。
自ら体験した人のする事は 私とは重みが違う。

阪神大震災の時は 若さにまかせ 現地に行きましたが、
いまは 足手まといかも知れません。
私自身は 何も出来ませんので 義援金箱を店に置いたり 個人で義援金箱に入れさせて貰います。
なにか 私にも出来る事が有れば良いのですが。

2011/03/02

長男が卒業式。

昨日 長男が高校を卒業しました。
置きっぱなしのカバンを見ると 何となく実感が湧きません。
本人は 今日から自動車学校に行きました。

娘の卒業式は 出席して いろんな思い出が巡り、思い切り感傷に浸っていましたが、

息子の場合 自宅から送り出しました。
 過去よりも これからしっかりやれよ、と思うばかりです。

 「まず カバンを片付けろ。」

2011/02/22

NYNY稲沢店 服部さんの結婚式。

稲沢店 服部さんの結婚式が カワブン名古屋で行われました。
原由子さんの曲「花咲く旅路」で しっとりと入場してから 
ずっと 服部さんに癒されっぱなしでした。

結婚しても 今までどうり働けますと 言ってくれて ホッとしております。
さすが ヒロミのスーパーエースは 旦那さんの理解も しっかりと得たようです。

補足ですが カワブンの料理は いちいち旨い。

その後 稲沢店の大先輩 お互いに子育て中の大坪さんと岡本さん、 リーダーの杉本君と
宮崎料理の店で 勝手に打ち上げを行い、
大坪・岡本の 「やっぱり服部さんはカワイイわ」とか「料理がおいしかった」とか 「やっぱり写真を撮るときは前へ出ないと」とかから始まり 旦那さん 子供の事 そしてお店の事、

なにか貫禄さえ漂う 会話をずーっと 聞かせて頂きました。
少しは 発散出来ましたでしょうか?

2011/02/11

サンタモニカ田県店大竹さんの長女花梨ちゃんの結婚式。

小雪舞う中 白無垢に角隠し 針綱神社で式を挙げ 犬山城正面を経て 
古い町並みを歩くという、 犬山における結婚式の原風景で 
実に綺麗な花嫁姿を見せてくれたのは、

田県店の大竹さんの三姉妹の長女 花梨ちゃん。

この三姉妹は ほんとに小さい頃から 大きくなるのを眺めて来たせいか、
なんか 居てもたってもいられず、
 花嫁姿を見に行きました。
おめでとう おいちゃんは嬉しいよ。 
 

2011/02/05

リーダー会後のサラダバー。


毎月のリーダーミーティングの後 ブロンコビリーに行きます。

サラダバーは いつもこんな感じです。
 
私のサラダはどれでしょう?

2011/01/25

株式会社ヒロミの新年会はお菓子の城。

今年の新年会は お菓子の城で 例年以上の盛り上がりをみせ 無事終わる事が出来ました。

NYNY多治見店による AKB48「会いたかった」と 風船パフォーマンスは 感動ものでした。

聞くところによると 最近毎日練習したとの事、
全てのスタッフのみなさん お疲れさまでした。

2011/01/16

NYNY多治見店は新年会。

私が忘年会はいっぱいで 大変そうだと 
新年会にしてくれました。
多治見店は 昨春4人の新人が入社しました、 最近この4人が成長して
これから多治見店が 大きく成長する そんな雰囲気です。
この春も 三人の新人が入社します。
たのもしい限りです。
この多治見店が 全員そろって ヒロミ全体の新年会で何かをやろう、と
盛り上がっていました。
こちらも楽しみです。

2011/01/09

成人式おめでとう。

娘が成人式を迎えました。

着物は お母さんの着物で 流行とは無縁ですが、
田県店の大竹さんに 着つけてもらい、
父親の目からは とても綺麗に写りました。

節目を迎えると どうしても今までのたくさんの事が  思いだされてなりません。

娘が大きくなればなるほど かかわれる範囲が狭まっていくようで 少しさみしい気もしますが、
おとうさんはいつも応援しています。

悔いのない人生を送って下さい。

2011/01/05

あけましておめでとうございます。

今年は 田県神社の行列が 例年より長いような気がします。
景気回復の兆し。

良い年になりますように。 

2010/12/31

思い出。



私のばあちゃんは 28歳の時に連合いを亡くし 3人の子供がいた為に、何でも少し離れた八百屋のおかみさんのアドバイスで 八百屋を始めて子供を育てたそうで その子供の1人が私の母親で美容師をやっております。

 母親は かなり仕事に対する意識が高かった為、運動会 参観日などすべて ばあちゃんと一緒で 究極のおばあちゃん子でした。

 一つ一つの思い出はきりが無いけれど、私が二十歳で一人暮らしを始めてから 15年程別々に暮らしてました。その間に家庭を持ち 子供も2人出来ました。

 ある日ばあちゃんから「うごけない」との電話で すぐに駆けつけ病院に行くと 脳梗塞で日常の動きはムリ かなり危ない状態でした。「今まで家のご飯を作って来たけど もう自分のご飯も作れない」と入院中悩んでいたので 「家に来やー」と強く誘うと 「ほんとにええかねー」と言って 我が家で一緒に暮らし始めました。
写真の人形は ばあちゃんが作った思い出の品らしく 「この人形だけ前の家から持って来て欲しい」と 頼まれたものです。今は事務所の私の部屋にあります。
 当時の我が家は1階に居間しかなく その居間にベットを置き家族全員の 一間での生活が始まりました。

 香嵐渓に紅葉を見に行きたいけど自信がないばあちゃんを 言い包めて連れて行き、私に手を引かれてでも 歩けた事がよほど嬉かったらしく、それからはその都度約束し 次に行く場所に期待を持たせ 最後の花見の約束は叶いませんでしたが、 車いすで色んな場所に行きました。

 ばあちゃんは賑やかなのが好きなので、 私の友達に協力を求め家に来てもらい 一部屋しか無い為当然ばあちゃんも参加しての宴になり 楽しそうでした。 そんな事を何回も行いました。
病院には週2回 必ずかみさんか私で連れ行き 「今日は風邪気味だから病院を休む」などと とぼけた事が言えるほど元気になり お医者さんも驚いておりました。
それは何より2人の子供の存在が大きかったのは間違いありません。 そこにもう一人子供が出来まして それをばあちゃんはとても喜んでくれて  私の不安も力に変えてくれました。

 色んな出来事を楽しんで ばあちゃんの病気も忘れかけ、ばあちゃんが家にきて4年が過ぎたころ
 うちのかみさんに「血が止まらへん どうしよう」 今度は子宮癌でした。
高齢の為抗がん剤治療でしたが 私には到底 どれ位の苦しみか解らないほど 苦しみました。でも弱音は吐かず、 治療をやめてからも楽にはなれず可哀そうでした。 90歳でした。

 ばあちゃんと子供では無く 孫の私と暮らして居た事が 周りに波風をたてたようですが。通夜の前夜、 私もその存在を 全く知りませんでしたが 親戚の一人が ばあちゃんのベットの引き出しから 2冊の日記帳を発見し 初めは「みーつけた」的に軽く読んでいましたが、見る見る雰囲気が変わり 無口になり その後 波風もどこかに行ってしまったようでした。

 皆が帰ったあと日記を読むと 私のところに来た理由 一緒に行った所 外食でのこと 子供の成長  毎回の病院に誰と行ったかなど、それら一つ一つ ほぼ毎日感想と感謝が書き込まれていました。 当然のように かみさんへの感謝が多かったことに かみさんにもばあちゃんにもありがとうです。

 字を見れば だんだん震えが大きくなっていて、 亡くなる1か月前「もう書けません これで日記を書くのを辞めます。」で終わっていました。 みんなが帰り 最後の水入らずになり 朝までばあちゃんと添い寝をしました。

 通夜 葬式は私は表には出ませんでしたが、多くのスタッフに助けて頂きました。

 ばあちゃんは居間で寝ていた為 毎日前を通ります、 どんなに遅く帰っても 静かに前を通っても「帰ったか?」「帰ったよばあちゃん」の会話が交わされない日はありませんでした。今でも遅く帰ると思い出します。

ばあちゃんが家に来たのは 今から13年前から8年前の5年間ですが、 スタッフは勿論 子供は守ってやらなきゃいかんし ばあちゃんには最後まで心配させられないし 「負けてたまるか!」のMAXの時代でした。

 病院通いもリズムになり その頃が一番仕事も効率よく動けました。 ばあちゃんは 生まれて初めて行った回転寿司の(かんぱち)で想像を超えて喜んでくれる、 「お前の店が見たい」のリクエストでスーパー内にあるサロンに行くと 途中大好きな草餅の前で立ち止まり「これたべたいなー」と呟く、 1つ買ってあげると 子供以上に嬉しそうな顔をする それに言葉を失う 「私が子供の頃そんな嬉しい顔しただろうか」申し訳なさで一杯になる。

 そんなばあちゃんが ここまで自分の幕引きをキッチリと整理整頓をして 最後は「もう頑張らなくてもいいよ」と思わせるほど頑張りました。ばあちゃんは色んな事を教えてくれました。
 これからも 忘れることなく 思い出を 大切にしていきたいと思います。

2010/12/22

サンタモニカ笠松店 坂井さんおめでとう。

「五月に結婚します」 とサンタモニカ笠松店の坂井さんが 彼と挨拶に来てくれました。
坂井さんは 早いもので 入社して七年になります。
その間いろんな事がありましたが、 笠松店は 立地もあまり良くなく、店舗もお金をかけてないけれど
お客様に来て頂けてます。

店舗や立地が良ければ お店がお客様を呼んでくれる事も有りますが、

 笠松店は なによりスタッフの人柄で成り立っています。
 お店が有る事に感謝をしてくれてますし、
坂井さん自身 まじめで優しい性格で スタイリストになるまで時間はかかったけど 
いろんな人に助けられ 立派なスタイリストになりました。
その過程で 常に感謝を忘れなかった事が 周りのスタッフにも伝わり 
笠松店の ほがらかな雰囲気が出来あがったと思っています。

そんな坂井さんを 彼は全面的に応援してくれるそうです。
こんなに嬉しい事は有りません。
この後 さっそくこのカップルと共に 焼鳥屋さんに出かけました。

2010/12/18

懐かしいにも程がある タンドゥール。

学生時代に通った、 まだインドカレーが珍しかった頃 豊田ビル地下(今はミッドランド)にあった カウンターだけの小さなカレー屋さんですが、

カルダモン・ウイキョウなど 本格的な香辛料に トマトジュース ピューレのみで、水を使わず、確認出来る固形物は、 おもいっきりたくさんの タマネギのみじん切りと鶏肉ぐらい、 もちろん小麦粉は使わず ヘルシー極まりなく、

しかし味はしっかりしていて 辛さは当時30倍まであり お好みで。

インド人より 謎のインド人っぽいおやじが経営していて 珍しい香辛料を 自慢げにくれた タンドゥールが  ミヤコ地下街に移転して まだやってました。

嬉しい事に カレーは当時と同じ味、おやじはもう居ませんでしたが、
おばちゃん二人で 当時にも負けない位 小さな店を切り盛りしていました。
おばちゃんに 当時の話をすると、「味はそのままだから、 懐かしいと 久しぶりに来てくれるお客さんや 食べてから思いだすお客さんも多い」との事 
一度は食す価値あり。

2010/12/14

三連続赤から。

忘年会ツアーの中間報告ですが。
五郎丸 田県・高蔵寺店に続き アールデコ瑞浪店で 三連続赤からです。

普段から 店の近くであったり スタッフの娘さんがバイトをしていたりと、
ちょくちょくお邪魔しますが この三連続で 赤からマイスターの気分です。

赤からは 店によって つまみなどの種類が変わっていたり、
焼き物のタレが 出ている店 出てない店がありますが、出てなくても頼めば出て来ます。
鳥皮はパリパリになるまで焼きます。

とんホルは どさっと山のように積みます、すると中が蒸されて柔らかくなります ホルモンは手をかけて混ぜてあげましょう、焦げ目はその後お好みで、ただ最近 厚めのミノのようなホルモンが出て来ますが 薄いホルモンらしいホルモンが恋しいです。

そういえば 狂牛病の騒ぎの前は こんな感じのカルビでしたが、何故かすべて霜降りになっていく傾向で、
焼き肉屋さんで こういったカルビに出会えなく やっと会えたという感じです。
霜降りをあまり好まない私は 赤身の柔らかいカルビが大好きです。
最後に 鍋の後 雑炊・リゾットの前には しっかり油をすくいましょう。
忘年会ツアーは まだまだ続きます。    

2010/12/09

この車は何?レッドブル。


「あっ!レッドブル。」と 事務員さんが叫んだので、


はずみで 事務所の窓から 写真を撮ってしまいました。
前から 気になってたけど、

この車は何、 目立つ為だけに こんなことしたの?


2010/12/03

鍋パーティー。

 私の先輩が 可児で「グルメゾンものがたり」という 西洋料理の店を経営してて、
この時期になると 「会いたなった」と連絡がきて、地元の友人を集めて お店が休みの日に 鍋パーティーをします。
ミルク鍋 など毎年種類が変わり 今回はトマト鍋でした、 
なぜ鍋かは 先輩が自分も飲みたいからで つまみやら 
仕上げのごはんまで
準備はばっちりで 後は自分たちで出来るようにしてあります。
ここまで毎年 してくれる事でもお分かりのように 
この人は良い人です。

そういえば 壁にこんなイラストが 掛かっていましたが 娘さんが描いたもので
毎月KELLYに載っているそうです、
先輩を見ると ぬいぐるみの様で 食べ物を出してくれると 美味しく見える人ですが、
どこかしら 文化人っぽく見えて来ました。

2010/11/24

忘年会シーズンの始まり。

今年もいよいよ 忘年会が始まってしまいました。
去年もそうでしたが 今年もサンタモニカ笠松店からスタートとなりました。

笠松店は 去年からメンバーが二人増えていて、一人は新卒の野尻さん、
もう一人が 出産・子育てが ひと段落の石原さんです。
石原さんとは 実に五年ぶりの再会でしたが その間スタッフを紹介していただいたり、
名前をたびたび聞いていた為、そんなに会って無かったとは意外でしたが、飲みっぷりの良さは 初めて目撃しました。

ここは 主婦比率の一番高い店で 当社で唯一私より年上の 奥村さんの元 
スタッフが皆 「ここの店があってよかった」と 思ってくれているようで、スタッフがお店をそう思えるという事は、お客様も そう思ってくれているはずです。
まさしく 和気あいあいと 楽しい忘年会でした。
忘年会の日程・回数は まだ全部は決まっていませんが、今年も大変なことになりそうです。