2010/12/31

思い出。



私のばあちゃんは 28歳の時に連合いを亡くし 3人の子供がいた為に、何でも少し離れた八百屋のおかみさんのアドバイスで 八百屋を始めて子供を育てたそうで その子供の1人が私の母親で美容師をやっております。

 母親は かなり仕事に対する意識が高かった為、運動会 参観日などすべて ばあちゃんと一緒で 究極のおばあちゃん子でした。

 一つ一つの思い出はきりが無いけれど、私が二十歳で一人暮らしを始めてから 15年程別々に暮らしてました。その間に家庭を持ち 子供も2人出来ました。

 ある日ばあちゃんから「うごけない」との電話で すぐに駆けつけ病院に行くと 脳梗塞で日常の動きはムリ かなり危ない状態でした。「今まで家のご飯を作って来たけど もう自分のご飯も作れない」と入院中悩んでいたので 「家に来やー」と強く誘うと 「ほんとにええかねー」と言って 我が家で一緒に暮らし始めました。
写真の人形は ばあちゃんが作った思い出の品らしく 「この人形だけ前の家から持って来て欲しい」と 頼まれたものです。今は事務所の私の部屋にあります。
 当時の我が家は1階に居間しかなく その居間にベットを置き家族全員の 一間での生活が始まりました。

 香嵐渓に紅葉を見に行きたいけど自信がないばあちゃんを 言い包めて連れて行き、私に手を引かれてでも 歩けた事がよほど嬉かったらしく、それからはその都度約束し 次に行く場所に期待を持たせ 最後の花見の約束は叶いませんでしたが、 車いすで色んな場所に行きました。

 ばあちゃんは賑やかなのが好きなので、 私の友達に協力を求め家に来てもらい 一部屋しか無い為当然ばあちゃんも参加しての宴になり 楽しそうでした。 そんな事を何回も行いました。
病院には週2回 必ずかみさんか私で連れ行き 「今日は風邪気味だから病院を休む」などと とぼけた事が言えるほど元気になり お医者さんも驚いておりました。
それは何より2人の子供の存在が大きかったのは間違いありません。 そこにもう一人子供が出来まして それをばあちゃんはとても喜んでくれて  私の不安も力に変えてくれました。

 色んな出来事を楽しんで ばあちゃんの病気も忘れかけ、ばあちゃんが家にきて4年が過ぎたころ
 うちのかみさんに「血が止まらへん どうしよう」 今度は子宮癌でした。
高齢の為抗がん剤治療でしたが 私には到底 どれ位の苦しみか解らないほど 苦しみました。でも弱音は吐かず、 治療をやめてからも楽にはなれず可哀そうでした。 90歳でした。

 ばあちゃんと子供では無く 孫の私と暮らして居た事が 周りに波風をたてたようですが。通夜の前夜、 私もその存在を 全く知りませんでしたが 親戚の一人が ばあちゃんのベットの引き出しから 2冊の日記帳を発見し 初めは「みーつけた」的に軽く読んでいましたが、見る見る雰囲気が変わり 無口になり その後 波風もどこかに行ってしまったようでした。

 皆が帰ったあと日記を読むと 私のところに来た理由 一緒に行った所 外食でのこと 子供の成長  毎回の病院に誰と行ったかなど、それら一つ一つ ほぼ毎日感想と感謝が書き込まれていました。 当然のように かみさんへの感謝が多かったことに かみさんにもばあちゃんにもありがとうです。

 字を見れば だんだん震えが大きくなっていて、 亡くなる1か月前「もう書けません これで日記を書くのを辞めます。」で終わっていました。 みんなが帰り 最後の水入らずになり 朝までばあちゃんと添い寝をしました。

 通夜 葬式は私は表には出ませんでしたが、多くのスタッフに助けて頂きました。

 ばあちゃんは居間で寝ていた為 毎日前を通ります、 どんなに遅く帰っても 静かに前を通っても「帰ったか?」「帰ったよばあちゃん」の会話が交わされない日はありませんでした。今でも遅く帰ると思い出します。

ばあちゃんが家に来たのは 今から13年前から8年前の5年間ですが、 スタッフは勿論 子供は守ってやらなきゃいかんし ばあちゃんには最後まで心配させられないし 「負けてたまるか!」のMAXの時代でした。

 病院通いもリズムになり その頃が一番仕事も効率よく動けました。 ばあちゃんは 生まれて初めて行った回転寿司の(かんぱち)で想像を超えて喜んでくれる、 「お前の店が見たい」のリクエストでスーパー内にあるサロンに行くと 途中大好きな草餅の前で立ち止まり「これたべたいなー」と呟く、 1つ買ってあげると 子供以上に嬉しそうな顔をする それに言葉を失う 「私が子供の頃そんな嬉しい顔しただろうか」申し訳なさで一杯になる。

 そんなばあちゃんが ここまで自分の幕引きをキッチリと整理整頓をして 最後は「もう頑張らなくてもいいよ」と思わせるほど頑張りました。ばあちゃんは色んな事を教えてくれました。
 これからも 忘れることなく 思い出を 大切にしていきたいと思います。